”夢中(^^♪” 好きこそものの上手なりけり

ちょっと古いですがフォルダーを整理していたらこんな記事を残していたんで
お借りして紹介します。
懐かしい記事とともに過去のことが色々と回顧されたんで・・・
少々前説が長くなりごめんなさい。

前から言うてて年寄りみたいに同じことを何度も言うてすんませんが
指導者始めたときはハヤマはセゾンジュニアの団員が少ないとのことで
当時のハヤマの監督とセゾンi谷さんが仲が良かったことから
ハヤマセゾンとして合併し活動しているとき。
当時はそないに知名度もなくちょっと変なおっさんの印象。
プレー経験では俺が上やとちょっと上から目線で僕の第一印象は
かなり悪かったんちゃうかな 冷汗;
そんな思いあがった態度の僕にも親切に個の育成が何で大事なんやとか
その理屈やメカニズムや指導のノウハウを教えてもらった。
もちろん俺もバカやないし縦社会で鍛え上げられた体育会系なんですぐに
自分の態度を反省しプレーヤーと指導者とは別物であることも理解し
わからないことは素直に質問したり、子供たちに話してやはる内容も
しっかりと聞いたりして“傾聴”することを重視して
家に帰ってサッカーノートに整理して自分なりに考察してまとめた。
中村俊輔や中田英寿が活躍していたころサッカーノートをずっと書いていたと
話題になったけど俺も小4からサッカーノート(日記やな(笑))を書いてるし
指導者になった今でもサッカーノートを書いてる。
彼これ、数十年・・・。そないに対した選手になれへんだけどな。。。
i谷さんの育成理論はかなり難しい・・・今でも・・・
やはりセゾンジュニアユース→野洲高校Aチームでみっちり直接指導で
鍛えられた選手たちや教養があり理屈やメカニズムの理解力がある指導者でないと
かなり難しい。そういう意味ではセゾン滋賀を引き継いだ元ハヤマ2代目監督の
T川さんなんかは専門が野球やからすごい勉強しやはぁったと思う(リスペクト!!)
んまに、真似しても真似できないけどおかげさまで理屈やメカニズムは
しっかりとご指導頂いたので
そこに僕は当時マイナーだったフットサルが好きだったのでセゾンスタイルに
フットサル技術を融合したハヤマスタイルをハヤマ代表になった11期生から
理念や信念として明確にし今に至る。
以降もi谷さんはGKの育成には興味がないものの(笑)公式戦における
GKの重要性はわかってやはってGK専門だった僕に臨時GKコーチとして
セゾンの子や野洲高に携われた最初のころは思い出したように呼び出されたり。
(って言われながらも当時オールサウスジュニアユースのGK指導もして叱られてました💦)
懐かしい話でした。
そういう点では僕も良いタイミングで出会いがあり巡りあわせに感謝感謝。
そして、ハヤマの当時の監督にも声をかけてくださって感謝しかない。
そして、この夏くらいからジュニアユースの監督さんたちから
ハヤマの子はジュニアユースはどこ行くの?
ハヤマの子、(セレクションあるけど)うちに来てくれへんやろか?
って言うてくれやはるねんな!! 
県大会出てる出てないとかトレセンちゃうとか関係なくやで♪
ジュニアユースのコーチたちはほんまに子供たちをよく見てくれてる。
(喋った本人が言うてるんやから自信持てや (笑) )
コーチスタッフたちとしては嬉しいよな。
頑張るハヤマっ子たちに拍手だよ♪ ありがとうね!感謝感謝だよ♪

さて、本題の記事です  m(_ _)m

■とにかくボールに触らないと上手くなれない
――まずは幼少期の乾選手について教えてください
小学校1年生でサッカーを始めた当初は、他のスポーツもやっていましたが、
サッカー中心の生活を送っていました。
でも、小学4年生くらいになると厳しい指導に音を上げて、
サッカーへの熱が冷めていったんです。
年上のチームでプレーさせてもらいながらも、練習をサボることも多かったですし、
休むことが増えていった。
一人でボールを蹴ることもなくなっていきました。
高学年の頃は、みんなで野球をしていた記憶の方が多いですね。
今となっては、サボってしまった時期を後悔しています。
一番技術が身につく小学生から、中学1、2年生の頃にどれだけサボらないかが大事
それくらいの年齢は、ゲームなど色んな誘惑があります。
サッカーが上手く行かず、違うスポーツに進む子ども出てくるでしょう。
そこでどれだけ頑張れるかが、大事だと思います。
僕は中学3年生から、もう一度自主練を真面目にし始めたので、
ちょっと遅かったな、と今となって感じていることです。

――なぜ、再びサッカーを頑張ろうと思えたのでしょうか?
野洲高校の練習に行かせてもらった際に、一歳上の先輩たちの練習に混ぜてもらったのですが、
岩谷さん(セゾンフットボールクラブ代表、2003年から10年間野洲高校のコーチを務めた)
から「一人だけ子どもだぞ」と言われたんです。
この前まで一緒にやっていた先輩たちとプレーし、まったく自分のプレーが良くなかったので、
焦りと悔しさを感じました。
このままじゃまずいな、もう一回ちゃんとサッカーを頑張ろうって思ったんです。
とにかくボールに触らないと上手くなれないというのを、その時にやっと感じました。
チームの練習だけじゃ、上手くなれないんだって。

――幼少期の指導で現在に活きていることはありますか?
ドリブルや足元のテクニックを学べたのは大きかったです。
なにより、高校卒業までお世話になった岩谷さんと出会えたのは大きかった。
岩谷さんは教える際に、答えを言わないんです。
答えを教えてもらうと選手は楽で、それをやっておけば良いと考えてしまう。
でも、岩谷さんは「なぜ今のプレーがダメだったのか」、
「ここを崩すためには、どうすれば良いのか」と小学生ながらに考えさせる指導でした。
答えを言わず、サッカー以外の例えを言ってくれたりしました。
それをちゃんと聞いていないと、岩谷さんが求めるプレーができない。
話を聞いているか、聞いていないかすぐバレてしまうんです。
分かっていなかったら叱られたりもする
ので、
ある日を境に「聞かなきゃ」という意識が芽生え、一生懸命話を聞くようになりました。
悩むことも多かったけど、考えて考えてサッカーをやっていたのは、凄く財産になっています。
あの時がなければ、身につかなかったと思っています。

■人の真似が、プレイヤーとしての成長に繋がる
――技術面もセゾンFC、野洲高校のカラーが良く出ているように感じます
テクニックの面では、小学生の頃からずっとやっていたジグドリ
(足裏や甲を多用して行う複数のドリブルメニュー)の効果は大きかった
と思います。
スピードに乗った中で、どれだけ細かくタッチができるか、
スピードを落とさず相手を抜いていける
のは、あの練習があったから。
見た目以上にしんどいメニューでしたが、サッカーが好きなら嫌がらずにできると思うので、
苦じゃなかった。

野洲高校は他の学校よりボールを使うメニューが多かったというのもあるかもしれません。

――野洲高校の恩師である山本佳司先生は、ずっとボールを蹴っていたと仰っていました
確かに、高校の時は練習前後に高く蹴り上げたボールをトラップする練習をずっとしていました。
普通にトラップするだけでも、難しいボールを単に止めるのではなく、
止めたと同時にスピードに乗ったドリブルができるようになろうと思って。
試合を意識した動きをしていました。
当時、ロナウジーニョ(元ブラジル代表)のプレーが好きだったので、
同じような動きを楽しみながら真似していました。
人のプレーの真似をするのが得意というか、良い所を盗むのが好きだったんです。
サッカーを始めたばかりの頃は、マラドーナのプレーが好きで、よくビデオを見ていました

■夢中になれれば、最強
――努力をしている感覚ではなく、サッカーが好きで堪らなかったという感覚なのでしょうか?
上手くなるには、どれだけ夢中になれるかが大事ですよね。
好きになって、夢中になれれば、最強ですよ。
絶対そんな選手は自ら好んで練習ばっかりしているはずなので、自然と上手くなっていく
嫌々やるのでは効果はありません。基本的にサッカー選手は、サッカーが好きな人ばかり。
好きなのに努力しない人は何かの誘惑に負けているからだと思います
子どもたちにはサッカーを好きになって、夢中になるのが一番だって伝えたい。
そうなれば勝手に上手くなっていくんです。

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